徒然なるままに

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夜警国家とは?

 近代的な国家は、夜警国家であった。

 国家を構成するものは、領土、権力、そして人間だ。これらのうちどれか一つが欠けていたら、それは国家の体を成していないし、それは世界のどのような機関にも承認されないだろう。

 この世には、200を超える国家がある。これらの国家群は大なり小なりこの条件を満たしていることになる。

 しかし、この条件は現代においてかなり緩和された。近代においての「自立した国家」の絶対必要条件は領土、権力、人間、そして武力であったのだ。

 

 もちろん、それは今でも同じだろう、日本がいまだに自衛隊を解体しないのはある程度の武力は持たないと何かと不都合であるからだし、アメリカの覇権がほとんど決定した現代であっても、国家は武力をひけらかし、すぐさま展開できるだけの力を保持しようとする。それには安全保障や、またもっと別の理由もあるのだ。

 

 我々はいま、何人だろう?
 考えなくても、我々は日本人だ。それは考えなくてもすぐさま出てくる答えだろう。

 しかし、それはある意味「排他的な」島国の人間の考え方であるらしい。

 

 実は「融和的な」大陸国家において、人間とはとても流動的なものである。
 

 例えば、我々が今の日本政府に対して、日本という国家に対して不信感を抱いたとする。身の危険を感じたり、不当に搾取されているといった事柄でもいい。

 そんな時、我々は一体どうするだろうか?政治改革を叫ぶだろうか?無論それでもいいかもしれない。しかし、これが専制的な江戸時代の話などになると事情は変わるだろう。一般人の政治参加は閉ざされているし、日々の生活で暇はない、結局諦めて日常を享受するほかあるまい。

 

 では、これがドイツやフランスなどの所謂、大陸国家ならばどうだろう。

 あなたはフランスの王様の政治に不満を持ったとする、しかしあなたは一般人だ。江戸時代と同じくあなたに政治参入の機会はない。

 それなら、あなたはその不満を受け入れるだろうか。いいや、そうはならないはずだ。

 

 海にでれない島国と違って、大陸国家には地続きの国家がうなるほどあるだろう。そうした中で、政治参入とまではいかなくても自分の身が保証されるような国家に亡命すればいい。言語や民族の違いはあるだろうが、これが国境付近の村になるとされにハードルは下がる。あなたは暴力的な王から逃げ、自分を庇護してくれる国家のもとにたどり着くのだ。

 

 暴政ばかりを行うと、大陸国家では人間の減少を招くようだ。このまま人が減り続ければ、国家はその三原則を守れなくなり、国家としての体を失うだろう。

 

 こうした国家群が自らの国民を外に出さないように、また敵国から自国に人を引っ張ろうとして生まれたのが、民主主義制議会、または夜警国家であるのだ。

 国家が個人のもとから、体面だけだとしても人々の手に渡った時である。

 

人間は、自分の命を何よりも優先する癖がある。それは動物的本能のようなものであるし、避けがたいものだ。そういう動物的本能に逆らう勇気の物語が文化圏を問わずに、多々見受けられるが、それは恐怖にあらがえないのはどんな人間でも同じだということだろうか。

 

 夜警国家は、国民の身の安全を守ろうとする国家である。それは警察機構だったり、外敵から身を守る軍隊だったりする。

 

 軍隊という暴力機関は、国民の敵を(外敵、もしくは内面の敵を)打ち砕き、守ろうとする機関である。

 

 近代の時代において、この軍隊を整備できなかった国家は、内から、また外から崩壊を始め、殺され、弾圧され、植民地になっていったのだ。

 これらを先導したのが、先に軍隊をそろえた夜警国家であることは歴史の示す通りだ。

 敵から国民を守ろうとした夜警国家は、外敵になりうる存在を排除、管理することで、平穏を保とうとしたのだ。